晴子の庭 Haruko's Garden

ここでは今まで私が勉強してきた事、経験した事、日頃感じている事を 載せています。植原晴子がどんなピアニストなのか、これをご覧になると 少しご理解をいただけるかもしれません。

 

 

 

ショパン・エチュードの思い出

 

それまでの実技中心の音中・音高の音楽教育とは打って変わって、音楽大学では学問としての音楽と一般教養の講義に通う毎日だった。その一方毎週稲川佳奈子先生のレッスンを受けに六本木のお宅まで通っていた時の事である。先生は当時まだ20代でショパン・コンクールに日本代表として出場した直後で、腰まである長い髪と端正な顔立ちが印象的だった。『とにかく遠藤先生から教わった事をお伝えするだけ』と惜しまず毎週毎週熱心に教えて下さった。その時教えていただいたのが、主にショパンを中心としたバッハやベートーヴェンの作品だった。中でもショパンのエチュードでは、それぞれの曲の具体的な弾き方、-フレーズの取り方や、呼吸・指、手首の力の抜き方、使い方、ショパン特有の歌いまわしなど、コルトー継承の技術を集中的に教えていただき、必死でマスターするため練習をした。『今の弾き方をしていたら、一生ショパンは弾けない!』と遠藤先生から言われていたのでとにかく本物に近づきたくて頑張った・・・まだ体全体の力は抜けてはいなかったが・・・その4年間の濃縮したレッスンがなければ、西洋音楽の指の基礎はできなかったと思う。そして遠藤先生や稲川先生に教えていただかなかったら、一生本物のショパンには出会えなかったと思う。その教えていただいたテクニックがベートーヴェンやバッハを弾くにしてもまたロマン派以降の作品を弾くにしても役立っているのは言うまでも無い。友人の1人に『もっとピアノがうまくなりたいのだけれど、ショパンのエチュードっていいのかな?』と訊かれたので『すごくいいと思う。』と答えてしまったが、『きちんとしたテクニックで弾けば』と言うのを忘れてしまった。そのあとその人は全曲弾いたようだが、正しいテクニックを用いてではなかったのであまり指の基礎にはならなかったような気がする。その頃も今も音大やコンクール出身の方がショパンの作品をエチュードに限らず弾いているが、きちんとしたテクニックで弾いているのを日本にいて聴いたことがない。そのテクニックがなくても最後まで弾くには弾ける。それで良しとするか、それとも・・・・                   

                                     (2007/6/22)

 

 

 

 

人間は皆耳を持っているのだが、音楽を聴く耳となると種種様々である。その聴く人によって色々なレベルがある。大まかに言えば、音楽愛好家でもクラシックが好きな人、ジャズやタンゴ、民謡や演歌しか聴かない人、オールマイティに何でも聴く人など、その人の趣味によって全く違う。

ここではクラシックを聴く耳についてお話しする。クラシック愛好家は、大抵海外の一流の音楽を聴いているので、すごく上手い演奏とそうでない演奏を聞き分ける事ができる。それは、巨匠の絵画や国宝級の美術品を見て目を養うのと同じである。しかし、一流の演奏とそうでない演奏の間には、何十、いや何百ものレベルがあって、クラシック愛好家と言えども、そのレベルを的確に聞き分けるというのは、至難の業だと思う。もうあとはその人の好みーつまり主観ーによって、その演奏の善し悪しを決めるしかないのである。私自身の耳はと言えば、幼い頃やはり巨匠と言われる演奏家の演奏を聴きすごく上手い演奏と全くそうでない演奏を聞き分けられるくらいだったが、一方でピアノを練習し少しずつ技術が進歩するに従って耳も成長して来た。例えばショパンのエチュードの手首の使い方や、呼吸の取り方がマスターできたとすると、それまで巨匠の弾くショパンのエチュードが漠然と聞こえていたものが、巨匠自身がその技術が的確にできている事を聞き分けられるようになるといった具合である。そうすると今度は他の人がその技術ができているかいないかが、自然に判るようになるのだ。

そんな耳がどうして必要なのか?

今日本では、海外の一流の演奏家と日本の演奏家が同等のように扱われているが、海外の演奏家と日本の大部分の演奏家では技術的にかなりの差がある。そこを聞き分けられる耳を是非一人一人が持っていただきたい。西洋人と日本人の技術の差・・・これについては、またの機会にお話ししたいと思う。

一番良いのはやはり一流の演奏技術を学ぶ事かもしれない・・・。

                                      (2007/6/23) 

 

 

室井先生のレッスン

 

室井摩耶子先生のお宅へ伺ったのは1990年秋の事だった。ドイツへ留学したいと考えていたところ丁度音楽雑誌の編集の仕事をしていた友人が『先日室井先生のお宅へ取材に行った』というのを聴き以前からベートーヴェン弾きとして有名な先生に是非レッスンをお願いしたいとその友人を通じて紹介していただいた。先生にお会いする前に丁度書店で見つけたご著書『ピアニストへの道』を読んだ。その中で、5年間の留学体験や西洋人と東洋人の弾き方の違い、音の大きさではなく響きの問題について触れた記述があった。いったいどういうことなのだろうと少なからず興味を覚えた。ショパンのエチュードを一応マスターしているのだから、指の基礎はできているとは思っていたが、まだ何かが足りないと感じていた頃であった。最初のレッスンでベートーヴェンのピアノソナタ“テンペスト”とバッハの半音階的幻想曲とフーガを緊張しながら弾いたのであるが、それに対し室井先生は『そういう風にお弾きになるの!まず音の出し方ABCからみっちりやらなければね!毎週いらっしゃい!』・・・というわけで帰り道私は頭をガーンと殴られたような・・・また一からやり直しなんていったいいつになったら基礎ができあがるのだろう・・・と体が重くなっていた・・・

それからのレッスンはと言えば、ベートーヴェンの一音一音についての解釈の仕方や音の出し方のABCを、それまでの技術や個性を一度真っ新にしてみっちりそしてそれはそれは厳しくご指導いただいた。ピアノの技術というものは単に指を動かすだけでなく頭も使わなければならない・・・しかし肉体がそれにともなわなければならず、頭でわかってから実際に指を動かせるようになるまでに時間が掛かる。3ヶ月経った頃、ようやく留学のためのデモテープを作る事ができた。また留学のために必要な紹介状を日本語とドイツ語で室井先生に書いていただくことができ、その中で『長足の進歩』というお褒めの言葉をいただいた。その後留学までの数ヶ月の間、引き続きレッスンをしていただき、ドイツでの入学試験に備える事ができた。留学直前、最後のレッスンの時に室井先生は『これで何とか試験を受けられるでしょう。但し音が響くまでは5年は掛かるでしょうね。ドイツの先生には最初のうち2,3回はその事を言われるでしょうけど、わからないと思ったらそのうち言われなくなるからね。しっかりおやりなさい!』と仰った。

室井先生のレッスンで、フレーズの歌い方や拍の取り方などの西洋と東洋の違いを学ぶ事ができた。ここまで親身になって温かくご指導いただけたという事は本物のピアノの技術を学ぶ上で本当に幸運だったと思っている。

                                                                   (2007/7/9)

 

 

 

耳2 

 

ピアノを習い始めたのは4つの時だった。何か習い事をさせようと思った母が私の短い指をした手を見て、昔音楽の先生がお世辞にも格好の良いとは言えない手をした男の子に『あなたピアノを弾いたらうまくなるのに』と言っていたのを思い出して、ピアノを弾かせてみようかなと思ったそうである。それから街の音楽教室に通い始めたのだが、当たり前の話、子供一人でピアノを練習するわけはなく、先生のところへは週1度丸をもらいに行くだけで、レッスン時間はものの5分だったため、それ以外の日は母が私をピアノの前に座らせ、根気強く譜面を手で指差しながら、全体を一度も間違えずに弾けるようになるまで、何度も弾かせた。また母が『こういう風に弾いてごらんなさい』と歌ってみせると次第にピアノが歌うようになったという。非音楽的な演奏では満足できなかったらしい。 その母の根気強さと耳の良さが無かったら、ただ弾くだけ、音を出すだけの音楽的ではない弾き方をするようになっていたかも知れない。母は実際にピアノは弾けないが、元々クラシック音楽やタンゴ、ジャズなど音楽が大好きで、よく聴いていたようである。私も小さい頃その音楽が流れるスピーカーの側で昼寝をしていた。絵を描いている母の隣で音楽が流れ、とても幸福な気分で眠っていたのを覚えている。

 

人間の感受性というものは、3歳までに決まるらしい。よくその頃庭で泥んこになって遊ぶのが得意だった。ベートーヴェンを弾いていると不思議とその頃に感じていたものと同じものを感じる事がある。何だかとても落ち着くのである。

 

私のピアノの成長とともに、母の耳も同じように進化を遂げている。最近は音が響くか響かないかが良くわかるようになっている。本当に聴くという事はすごい事である。前にも述べたが、ピアノを演奏している人の耳には様々なレベルがあると思う。それは自分の演奏の技術に比例して耳が成長するためである。一流の演奏は理解できるが、それと自分の技術との間の領域に関しては耳がついていってはいないのである。この様々な耳を持って、意地悪く批評する人達がいるので困る。

 

しかし専門家にとっては、色々なレベル分けができる耳が必要であるが、音楽を聴くという事は、ただ心で聴くというか素直な気持ちで聴いて、『いいなあ』と思えば良いのである。素晴らしい演奏はほとんどの人がその好みとは別に判るものだからである。

                                  (2010/6/28)

 

 

 リサイタルに寄せて

 

ラフマニノフの前奏曲とエレジーは5曲からなる『幻想小品集』として作曲されたもので、単独で演奏されることの多い2曲でもある。前奏曲はグレムリン宮殿の鐘の音を模して作曲されたと言われ、俗に『鐘』と呼ばれるようになった。当時大変流行ったらしい。19歳の青年が書いたとは思えないロシア的な壮大さと哀愁を帯びた曲である。

 

ベートーヴェンのソナタ『月光』と『テンペスト』という題名はベートーヴェン自身によるものではない。諸説色々あるが、いずれにしてもタイトルを付けられるくらい名曲なのだという事だと思う。私にとってもベートーヴェンは大変思い出深い。小学生のころ『悲愴・月光・熱情』という3大ソナタのLPを巨匠ケンプの演奏で聴き、血が燃え滾るような興奮を覚えた。それ以来ベートーヴェンは私の最も好きな作曲家になった。まだ技術は無かったが、解釈だけは間違えていないと言われたりした。

 

『テンペスト』はドイツ留学を控え大学院入試のために用意した曲目の1つだった。ケンプの弟子でもある室井摩耶子先生にレッスンしていただけたのは、本当に何というご縁であったことか・・・。しかしながら音の出し方から指の動かし方まですべてゼロにするレッスンで、冒頭の3,4小節だけで1時間のレッスンが終わってしまうこともざらだった。良く『どうしてここでクレシェンドと書いてあるのかしら?どうしてここでアクセントが付いているのかしら?』と質問されたが、なかなかうまく答えられなかった。ただ楽譜に書いてあるからフォルテで弾く、クレシェンドを付けるという事をひたすら疑わずやってきたそれまでの弾き方とは全く異なるものであった。深く探れば探るほど、ソナタはまるで長編小説やお芝居のような物語があるという事を知った。そのような曲を書けた作曲家たちは、正に神の啓示を受けたとしか言いようがない。

 

その後ドイツでマクスザイン先生から『作曲家を尊敬はしても畏怖の念は抱くな!自分自身の音楽を奏でなさい!』と言われた。東洋と西洋の奏法の違いをあっちにぶつかりこっちにぶつかり、偉大な作曲家の作品に押しつぶされそうになりながら歳月が流れた。しかし最近思う事は、その奥深く難解な曲を私達演奏家は難しく弾くのではなく、できるだけわかりやすく単純に演奏するという作業をひたすらやっているのだという事。そしてできるだけ自然な動きに近づくために色々なテクニックを日々練習しているのだという事である。

                                                                                                                                                               (2016/6/5)

 

 

響き Klang

 

明治の西洋音楽事始めから日本における西洋音楽教育が始まって以来130年余り、世界の何処にいても瞬時に情報が飛び交う現代になり器用に演奏する人は多くなる中、

依然として西洋人の持つ響きや技術を持った東洋人は数えるほどしかいません。大学時代から自分の体を通して実践してきたことを日頃門下生たちにも伝えていますので、多かれ少なかれ西洋人と東洋人の違いに気づきそれぞれ努力していることでしょう。そのような耳を持つ門下生が増えること、そしてそんな私たちの演奏に耳を傾けてくださる方々が少しずつでも増えていきますことを願ってやみません。

                                                     

                                                                (2017/8/20)

 

 

 

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Sylvain Guinet          『Yuko Takamatsu』

Sylvain Guinet          『 Flower of Japan』


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